みなさま、こんにちは。
とびきり美味しいハンディフードブランド「Nagara」の代表、原賀 健史と申します。
今回は会社員から起業に至るまでの出来事を綴ります。
僕自身の個人的な話を通して、僕の分身であるNagaraについて少しでも興味が湧いてくれると嬉しいなと思っています。
「そうだ、社長になろう。」
Nagaraというブランドを作って起業をする。
それを考えた当初、僕の職業は会社員でした。都内で夫婦つつましやかに生活するくらいの安定した給与と社会的信用をいただき、その対価として日々労働力を提供していました。
仕事の不満はゼロではないが嫌いではないし、人間関係は良好。
評価も上々でありがたいことに給与は(微量ながらも)右肩あがりときている。
それでもやっぱり、「社長になろう」そう強く思ったのです。
僕のキャリアのお話
ここで少し僕の話をしましょう。
僕は現在32歳だけど、実は会社員としての転職を2回ほど経験しています。
1社目はアメリカ資本の素材・化学メーカー3Mの技術職。
そして2社目はこれまたアメリカ資本のコンサルティングファーム、アクセンチュア。
どちらも若い内に詰める経験としては、おそらく最高に近い環境でした。
同期も先輩や上司も優秀な人ばかり、仕事はハードでしたがやりがいもあって、平均よりもお給料もたくさんいただける。
それでも、結果としてそれぞれ2年間、4年半勤めたのち、転職を選びました。
なぜか?
「自分が当事者となって面白いものを作りたかったから」です。
外資系メーカーは、基本的に海外本社が操縦桿を握っていますし、コンサルタントはあくまでも支援者。当事者意識を持って課題にあたることは出来ても、真の当事者となることはできません。
そんな事を思いながら、3社目で面白い会社に出会い、これが起業を考える大きなきっかけとなりました。
バルミューダとの出会い
コンサルタント職から、事業会社に行きたいと考えながら緩やかに転職活動をしていたある日、メールボックスに一つの求人が舞い込みました。
「独創的な製品と代表のカリスマ性で破竹の勢いを見せる、家電メーカーのマーケティング職の募集です」
それが僕の3社目の勤め先になる、バルミューダでした。
面白い製品を持っていて、大きすぎない、ブランド力がある、製品サイドのマーケティング。当時考えていた自分の心のチェックリストにナイキマークが乱れ飛び、その日のうちに即応募。すったもんだで運よく雇っていただける運びになりました。
バルミューダは自由なアイディアで大きくなった会社です。
扇風機の羽根を二重にしてみたり、トースターにスチーム機能をつけてみたりと、ユニークな発想で新しい価値を世の中に提供してきました。逆に、生産や物流は外注し、自分達の力を得意分野に集中させる組織形態をとっています。
そこで働いていると、あることに気づきます。
「これ、アイディアさえあれば、自分にもできるのでは?」
家電を作るのは流石に難しいけれど、食品や化粧品であればOEMを受けてくれるメーカーはたくさん存在しますし、初期投資も必要最低限で済む。
それまで会社員以外の選択肢を知らなかった僕が「自分でゼロから立ち上げた商品を持つ」という事の可能性を認知したのがこの頃でした。
寺尾氏の働き方は自分の理想だった
株式会社バルミューダ 代表取締役社長 寺尾玄。
彼は、会社員としての僕の事実上の雇用主でした。
バルミューダを創業し、ヒット商品を作り上げ、さまざまな困難を乗り越えて現在は上場まで果たしました。現在組織は大きくなり、商品もどんどん増え、会社として成長の道をひた走る最中。
そんな中でも、寺尾氏は社員の誰よりも「当事者」でした。
顧客・商品のことを誰よりも考え、自分の好きなものを作り、組織や外部の力を使ってそれを実現する。最終的に何故だかお客さんが大喜びしている。
「こんな楽しそうな仕事があるんだ」というのがはじめて見た時の感想でした。
当時の僕は、理想なんてものは存在せず、ベターな選択肢を目の前で選び続けるしかない。そういうスタンスでした。
でも「自分で会社を作ってその社長になる」という選択肢だけが、その理想を実現する可能性を持っている。そんなことを自身の雇用主にまざまざと見せられたのです。
僕はその姿を舞台袖で見ながら「この立場になりたい」と思わずにはいられませんでした。
とにかくやってみたかった
起業を意識しだしてからNagaraの構想が浮かぶまで、そう長く時間はかかりませんでした。
食品なら化学の知見も活かせるし、自宅で実験もできる。
個人的に感じる課題もあるし、その解決の糸口も見えている。
コンセプトを思いついた時から頭の中で縦横無尽に電気が走り続け、たくさんのアイディアが僕の脳内を支配し続けます。
自分が考えて、作って、届けた商品がたくさんの人たちの手に渡り、みなさんが大喜びをしてくれる。そんなことを想像する。
もう、いてもたってもいられませんでした。
「できる」と「やりたい」がかさなったら「やってみる」以外の選択肢はありません。
幸い失敗したとしてもすべてを失うわけじゃない。
そう自分と家族に言い聞かせ、貯金から出した資本金を握りしめ、株式会社Taste and Logicを創業するに至りました。
最初から法人化する必要があったのか?と言われるとやや言葉に詰まりますが、正直なところ、決意表明を立てたかったのだと思います。
僕は本気だぞ、やってやるぞと、周囲の人に、社会に、そして自分自身に訴えたかったのです。
こうして、僕は社長としての第一歩を踏み出しました。
つづく。